2015年5月15日金曜日

[いまトロ](1)姉の病状ーなんとも言えない時間(とき)が続くー

[いまトロ]と題して、今の心情を吐露させていただきます。

第1回は、姉の病状、というか死期が近付いていること。

終戦の日(1945.8.15)に生まれ、20年以上腎臓透析で入院している姉。去年の11月に発熱し、細菌感染症の全身に波及した敗血症と診断されました。その最近とはブドウ球菌とのこと。透析していると、薬の関係で自己治癒力が落ちるそうです。抗生物質で一旦熱が下がったものの1月に大動脈瘤が発見されました。いつ破裂しても不思議で無いとの診断です。入院している病院の勧めで大学病院での手術を模索してみましたが、白血球がまだ多く炎症がどこかで続いていそうだし、血液中に菌が無い状態にならないと手術をしても、埋め込む人工血管に菌が繁殖してしまいかねないとの診断でした。今は手術できないとの判断です。写真は大学病院で話しを聞いたときのMRI写真の一部、身体の断面(大動脈部分)です。大動脈が56.66mmにも膨らんでコブ(瘤)になっているのがよく分かります。それに、血管も白く映り石灰化が進んでいるのが分かります。TVの健康番組で聞く「血管の石灰化」を身近な人の画像として見るのは、ハッと/ドキッとします。


昨年12月から始まった抗生物質治療は5ヶ月に及んでいます。お医者さんによると、通常は連続2週間投与すれば一旦止める抗生物質を5ヶ月も続けているのは稀なことだとのこと。何種類かの抗生物質を試して効きの良いものにしようとされていますが、効果は出ていません。38°C以上の熱が時々出て、白血球も減りません。

ただ、本人の意識はハッキリしています。姉の言葉が聞きづらいので会話はなかなか成立しませんが、見舞いに行っている私のことを逆に気遣ってくれる言葉を発してくれます。たとえば、「気をつけて帰りや」とか「足りてる」とか。でも、少しずつ言葉でのやり取りは減ってきました。言葉に頼らず、顔を観ている、傍に居るだけでヨシとしています。

姉の顔にはツヤがあり(たぶん皮膚炎防止用のクリームか)、看護師さん達がケアしてくれているのがよく分かります。しばらく前には、風呂に首まで浸かって「気持よかった」とも言ってくれていました。

覚悟は出来ているツモリです。全てを受け入れる覚悟は常にあります。

でも、どこかで「いつ、お医者さんから連絡が入るかも知れない」との怯えがあるのも事実です。「あまり遠くに行ってはならない」との考えもあります。でも、それはソノコトを予期しているからで、可能性が高いのは事実でしょうが、いつかは誰も知りません。先のコトを予想するより、「今を精一杯生きる」しかないと、何度思ったことでしょう。そう、今日も精一杯生きる中から、新しい景色が見えてくる話がメーリングリストで届きました。

むすび通信106号(イイカゲン農法)・・・リンクは2015.6.2に貼りました。

みんな精一杯生きているんだ!
姉も、私も。
最後の瞬間(とき)をどう迎えるかは、姉も私も分からない。
もしかしたら、その時は数年後かもしれない。今日かも知れない。
分からないものに振り回されることなく、今を生きよう!
と、頭で思いつつ、心にねじ込んでいる今です。

2015年5月14日木曜日

丸刈りに至る。丸刈りだと、・・・。

丸刈り。去年2014年9月頃に丸刈りにした。

一番の理由はハゲ隠し!

40代のとある日、滋賀・朽木で、山仕事のセミナーを受けていて、屈んでいる時、頭上の位置から写真を撮られた。その写真を見て、愕然!頭頂部が薄い!カメラの眼は残酷だった。

小学校の時は坊ちゃん刈り、中学で丸刈り。その反動で高校は長髪!前髪は顎の下まで。自分でカットしていた。予備校か、大学に入る頃か、七三にした。会社に入ってからも。早期退職後しばらくは散髪屋さんで七三を続けていたが、数年前から美容室でカットしてもらっていた。が、納得のゆく髪型にならなかった。

そう私が決めないとね。

頭頂部のハゲ=毛髪の密度が低いところに全体を合わせれば良いと分かったのは去年の夏か。その前に、阪神を引退した今岡選手がMBS毎日放送のTV番組に登場してきて、頭が変なのが気になった。斑(まだら)なんだ。何故だろう?部分部分で濃淡が違う。それが丸刈りしていて、少し毛が伸びたからだと分かったのはしばらく日数が掛かった。そして、ハリウッドの毛が薄いスター達がみんな丸刈りなのを知って、やはり丸刈りでしょう!と。

美容室のオーナーは「本当に丸刈りにして良いですか?」と尋ねてくれた。後悔する人が多いそうだ。私の場合は、凄く気に入っている。毛が長い状態では個性を出せなかったが、丸刈りにして、髪の毛の密度の違い、毛の方向、キズなどが「ありのままの個性」になっていると思っている。頭を洗っても、直ぐに乾くのもいい。料金も1000円と安くなった(カットは3800円ぐらいだった)。懐にやさしい!

ただ、冬は寒い!夜寝る時は頬っかぶりしないと耐えられない。(築60年の家だからか)
0.1mmは寒すぎる。今は0.8mmにしている。

それと、美容室のオーナーさんと世間話なんぞをする時間が無くなってしまった。普通のカットの場合、40分程度掛かっていたのが、丸刈りだと15分〜20分。シャワーの時間も入っての15分だから。おしゃべりは貴重な時間なので、別の手段を試そう〜っと。

個人史から世の中を見直す。

なんとなく思うのは、支配者/指導者/専門家が牛耳る?世界から、一人ひとりが世の中を創りだす世界に、じわっと変化しているのではないか?、ってことです。

集落の全員が丸く火を囲んだ対話から、次の行動が自ずと決まっていったという石器時代。数千年に及ぶ支配者/指導者の世界観・価値観や、専門家の技術論を参考にしつつも、一人ひとりが世の中を創ってゆく主人公に戻りつつある時代を迎えていると感じています。「主権在民」と社会で習ったが、実態は疑問だった今まで。これからは、いや既に動き始めている。大阪市の住民投票も、結果がどうであれ一般の選挙以上の投票率になって、主人公達の蠢き(うごめき)がカタチになれば面白いのではないでしょうか?

今までの歴史は、支配者/指導者/政権がコントロールしてきましたが、これからは個人一人ひとりが語れ、且つ発信・検索して、個人と個人が繋がってゆく時代です。しかも無料で!技術の進歩、無料サービスの誕生はある種の福音でしょう。当面、活用させてもらいましょう。時代の流れと共に無料で無くなるかもしれないが、その時はその時。(笑)
バーチャルな対話が、リアルな対話を産みます。予想しきれない世の中。楽しみです!

写真は、読売新聞の記事、[顔]「拉孟戦」の証言を集める元客室乗務員 です。元客室乗務員の遠藤美幸さんがご縁に突き動かされて1944年の日中の戦いについて、将兵の体験談をまとめたとのこと。遠藤さんは「生活者の目線で書いたからこそ意味がある。歴史を語り継ぐことが特別なことであってはいけないと思う」と語っておられる。同感です。

さぁ、ひとり一人が語りはじめましょう。

2015年5月2日土曜日

「弔い」をReDesignする。(その1:「弔う」とは)

兄・辻井隆昭が亡くなって1年2ヶ月が経とうとしている。

死亡が急逝だったので、「戒名不用、告別式不用」との遺言を守るのが精一杯だった。
遺言を守ったことで、いろいろ気付かせてくれた。
申し訳ないが、お坊さんは必須では無いと感じた。それより急な知らせを聞いて駆けつけていただいた皆さんと遺体の前で、自由に話す時間があることの豊かさはお経に代え難い。親戚の方々とも法事というカタチに囚われないで話せるのは貴重だ。

世の中、葬儀をしない直葬というスタイルが多くなってきたようだ。
でも、それだけでは残念な気がする。
「弔い」(とむらい)として、故人の思いを繋ぐコトをカタチや場所、時期を問わず行いたい。
葬儀というスタイルはある種便利だが、置き去りにした部分や、本来の役割を果たせていない部分があるような気がする。
もう一度「弔い」を見直す時期にきている。

検索していて、次のブログ記事を見つけた。
「弔い」論

記事の中で川村邦光氏の論を引用しているのを、私も引用しよう。

死を悲しみ悼む(いたむ)営みである、
弔いは死者に対する生者の関わりが続く限り存続する長いプロセスである。

そう、弔いは弔う人が居続ける限り続く。
ただ、悲しんだり、悼んだり(嘆いたり)するだけのプロセスだろうか。

寿(ことほ)ぐプロセスであっても良いと思う。
寿ぐ=言葉にして幸福を招き入れる、との意味です。

兄の急逝で、驚いたり、悲しんだり、怒ったり、理由を探したりする人々が一杯いた。私は理由を探すのが主な反応だった(なぜ、病院で亡くなったのか、お医者さんは兄の死から何か学び取ったのか)。同時に、夥しいモノやコトの片付けを担うことにしたので、そこに気持ちが行っていた。

しかし、急逝であろうが「寿命」と受け取れば、事態は急展開する。
彼の人生が急逝で完了・完結したと思えば、理由探しよりも、彼が人生を賭して伝えたかったことに目がゆく。それが寿ぐプロセスだと思う。

そう、寿命の意味を再確認しようとして出会った次の歌を聴いてください。私の文章より雄弁だと思う。

高野健一 / ことほぎ~君への遺言~



寿ぐプロセスとしての手作りの「弔い」を紹介してゆきます。